2014年10月19日(日)、今年も 指定文化財 集中曝涼 を見学してきました。
1.久昌寺
今年の春にも訪れた久昌寺です。
を見てきました。
①については、3代水戸藩主綱條さん(頼重お兄さんの子)が制作を命じたようです。これは、光圀公が病気で寝込んだ時に作られたものだそうで、晩年の作となりますね。綱條さんの悲願の念が伝わってきます。この像、座っているので座布団の上に居るのですが、その座布団も勿論300年以上のもので。痛みもあまり見られず綺麗に残っていました…
②は最高級の水戸藩史料として価値の高い日乗さんの日記です!日乗さん直筆原本の複製でしたが見てきました。介さんの名前発見しました~!「松茸とれた!」とか日記に書いてて可愛かった…(笑)
光圀公の水戸から太田に来る過程等も詳しく書かれているので非常にありがたいです。
③光圀公のお面です!3つだけ現存しているみたいで、各々光圀公が20代、30代、50代に作られたものです。お面の作者は太田久蔵さんと前田介十郎さん。太田さんのご子孫様が、去年この久昌寺に訪れたようです。太田さんは、西山荘の付近に住んでいたことが明らかになっているとか。美男と呼ばれた光圀公のお姿…お面は伏せ目でふつしいです…ほの字です。。。
④光圀公の扁額!!!「摩訶衍庵」と書いてありました…達筆!勢いのある字でした。烈公のものもありましたが、烈公は滑らかな字でした。光圀公は威勢がありましたね…。
⑤1980冊現存しているようです。「久昌寺経蔵開山壇那源光圀置」の朱印がございました…。そして、介三郎様の筆による題目も記されていました……!!今日は見学者やスタッフの方が「介さん」名前を沢山出しててほっこり~。愛され介さん~。
2.旧茨城県太田中学校講堂
震災で3年間公開されませんでした。震災前に何度か入ったことがあったので、久々に探索してきました。昔の学校の生徒の写真や教科書など様々なものが残っているのですが、展示品もいくつかございます。
などがあります。水戸藩らしいものといえば!翠軒先生の七言絶句ですかね。
翠軒先生は様々な逸話が残っていて面白い方です。澹泊先生が亡くなって数年後に生まれる、江戸中期~後期の人なのですが彰考館総裁になったので介さんや澹泊先生と同じ役職でした。
翠軒先生は、『新安手簡』という書を著しています。これは新井白石先生と安積澹泊先生のお手紙のやり取りをまとめてくださった素晴らしいものです。この書からかなり情報を得ています。翠軒先生大感謝!
当時にしては珍しい洋風な作り。この洋風な部分の左右に、以前は斉昭公と光圀様の肖像画が飾られてあったのですが、何故か今回は見当たりませんでした😢😢おそらく、震災の影響でしょうが・・・とても悲しいです。
3.正宗寺
2013年も行ったので端折ります…介さんの位牌、今年も拝んできました!ここでも「介さん」という名前が飛び交ってました(笑)
去年は介さんのお墓まで見ていく人は少なかったのですが、今日はわりかし介さん、佐竹氏一族のお墓参りしていく人がいました。
4.来迎院
不気味な場所としてちょっと有名な場所なのは事実なのかもです。人気のないところにあり、鬱蒼としてます・・・
この数百メートル先には、昔金田一少年のドラマの撮影場所にもなった所があるくらいなので、本当に薄暗い場所なんです(笑)。
でも、今日は賑わってました!おもてなしがたくさんあったので、お祭り気分でした👌
今年は葵の御紋の缶バッチ頂きました!水戸徳川!