8月【福島】山鹿素行・堀部安兵衛関連地/【山形】山吉新八郎・新貝弥七郎関連地

2018年8月12日に、忠臣蔵巡り~東北編~をしてきました。
会津といえば、幕末のイメージが強いけど、少しだけ忠臣蔵ゆかりの地も存在するので、久しぶりに会津にお邪魔して散策してきました。

↓ 前回の米沢レポートはこちら ↓

鶴ヶ城
鶴ヶ城

中の展示品が立派で楽しかったです。個人的に詳しくはないけど昔から白虎隊には興味があったので白虎隊コーナーが大変良かったと思いました。

鶴ヶ城

 

若松城から見た飯盛山
若松城から見た飯盛山

多分…この写真の中に飯盛山が入ってます、多分!(自信ない)
今回は飯盛山までは行かなかったけれど、今度会津に遊びに行ったときは行けたらいいなあ。

お土産屋さんの脇っちょにVRコーナーがありました。
5分程見てきたのだけど、篠田儀三郎くん(白虎隊)・土方歳三さん(新選組)・松平容保公(会津藩主)の三人で、篠田くんがお城のことなどを説明してくれました。
印象深いのは「会津は海がないから塩を沢山蓄えていた」という一言。忠臣蔵オタクをやっているから塩には反応してしまう。実際赤穂藩は塩のお陰で財政が成り立っていた部分もあるし、塩は大事なのだな~。
歴史上の人物がイケメン化されることで史実と創作との境界線が分からない人が増えて暴走してしまうファンとかがいるとかで、イケメン化ゲームには賛否両論が未だにある(と勝手に思っている)けど、こうして「公式」がやってくれるの場合はとてもいいことなのでは、としみじみ思いました。
篠田くんがめちゃくちゃ可愛かったし。興味を持つきっかけにもなると思う。
イケメン化された四十七士が赤穂城を説明してくれたら楽しいだろうなあ…なんて思いながら鶴ヶ城のお外に出ました(笑)。

中学生の頃に会津で赤べこの絵付け体験をして、オリジナル赤べこを家に置いといたのだけど、遥か昔に紛失させたので(笑)、今回ようやく赤べこちゃんを再度お迎えすることが出来てホッとしています!左のユルい赤べこは代わりに家に置いといたものです(目玉が飛び出る)。
こうして並べてみても可愛いものだナ~(´▽`)ノ 並べて置いときます。

案内役の人にオススメされたのでお城ボくん撮ってきました(笑)。

続いて向かったのは鶴ヶ城から徒歩数分で行ける…、「山鹿素行先生生誕の地」!忠臣蔵巡りっぽくなってきた~!

影で読みにくい/(^o^)\

赤穂藩士に影響を与えた山鹿素行先生の生誕地にお邪魔することが出来てたいへんよかったです。
四十七士で「山鹿流兵法」免許皆伝を持っていたのは実は菅谷半之丞サンらしいです(´▽`)
素行先生→大石頼母助さん→菅谷さんという流れで伝わったそうです。
もちろん四十七士の多くはこの兵学を学んでいるけど、免許皆伝を持っているのは菅谷さんただ一人だったそうな。
釣り🎣のイメージが強いけど、実はすごい人だったんだなあと思わせるエピソードですネ。

因みに近松さんは山鹿先生から学んでいたお父様(小右衛門さん)から学んだそうで、「山鹿語類」や「武教全書」などを持っていたらしい💕
それを、吉田(忠)さんが「筆写したいから貸して★」と言って借りたという話が残っていて、本当に色んな人が山鹿流を必死に学んでいた篤学な人たちだったのだなアと思います(浅野家の公式な兵学は、元々は甲州流で、吉田さんなどはこの甲州流なども学んでいたよ)。

敵さんとなる吉良家と比較すると武芸一筋で、火消しの得意な御家だったり、お国訛りも影響してか少々荒いイメージがもたれる赤穂側だけど、学問が大好きなところを見ると結構穏やかそうな人もいるよな~と感じます。吉良家とお友達になれそうな人いっぱい(?)。

ちょうどいい案内図がありました。山鹿先生が生まれたところは直江兼続サンも住んでいたのね~(´ω`)

次は「堀部安兵衛生誕の地(!?)」&「堀部安兵衛両親の墓」が存在する貴徳寺まで。
生誕の地は、会津に伝わる伝説で、眉唾物です。本当は新潟県の新発田(新発田散策はこちら)生まれというのが一般的な説。
会津といっても「会津坂下町」にあるので鶴ヶ城から簡単に行けるわけではないのでご注意。車でちょうど30分。バスや電車は絶望的です。

お盆の時期なので地元の方が先祖のお墓参りに来ているのでお邪魔にならないように静かに…。 思ったよりも安兵衛推しな場所でした。
ご両親のお墓にはお花もちゃんとありました✿
妙海尼さんのお墓まで作られているのですね。ご両親のお隣にいました。
(妙海尼…討ち入り事件後、「堀部安兵衛の妻」を称して泉岳寺付近に住み着いた女性)。
会津坂下は、幕末に活躍した「中野竹子」さんのお墓もあり、そちらの推しもしてました。
「ChuSinGura46+1-武士の鼓動-」は四十七士が幕末にタイムスリップして、赤穂浪士VS新選組のゲームとなっているので、このゲームには彼女も出てきて、安兵衛サンと中野サンが会話するシーンが入っているのだけど、作者はこれを意識していたらスゴイ。

貴徳寺周辺をフラフラしていたら、おじちゃんに「いや~暑いね~」と話しかけられた。つくづく思うのだけどわたしは旅先で知らない人に道を聞かれたり、世間話などをされることが本当に多い(笑)。道を聞く相手は人間は本能で自分より弱そうな相手を選ぶとかいう話もあるけど別に道を聞かれて教えたあとは豊かな気持ちになるので気にしないことにしています\(^o^)/。

おじちゃんの言うとおり会津は暑いよ!東北だけど福島は海から離れると暑いところが多い。福島盆地…。でも茨城から会津に入るまでは涼しかったです。車の外気温が19℃のときもありました。会津に入ったとたん暑くなった((“Q(´▽`。)…


ここから米沢編
本当は会津坂下に来る前に会津若松で色々な所を見てきても良かったのだけどあまり散策せずにこちらに来てしまったため、まだお昼前だしどうしようか悩んだ結果「山吉さんと新貝さんに会いに行こう」と、ここから米沢までドライブしてきました。
会津と米沢は歴史上の流れを見るだけでも面白いけど、1時間くらいで行けちゃうものなのだ。

米沢の最初に何処に行こうか悩んだけど、やっぱり吉良側の一番のご贔屓さん、山吉さんのお墓参りがしたい!ということで、3年ぶりに照陽寺さんへ。あまり観光地的な場所ではないのでお写真も殆ど残せないのだけど、一枚パシャリ。

山吉さんの案内板がないので初めて来た時は探すのに一苦労したけど、今回はしっかり場所を覚えていたようで一発で見つけられました( ˆoˆ )
(参考までに:入って左に向かってほぼ直進して突き当たりに山吉家のお墓があるよ)
こちらも地元の方がお墓参りしていたので邪魔にならないように静かに手を合わせてきました。
前回(2015年9月)は墓前にお花などは供えられていなかったけれど、今回はお盆の時期のためかお花があって感激しました(T_T) 
万年塔(山吉さんのお墓)の隣に山吉家の現在のお墓があるので子孫の方がいらしたのかもしれませんね。


続いて林泉寺に新貝さんのお墓参り。山吉さんと新貝さんのお墓はとっても近いところにあって(感激して泣ける)、徒歩でも問題なく行けるしできたら徒歩でゆっくり米沢の景色を楽しみながら行きたいのだけど、どちらかのお寺さんに車を置いとくのもご迷惑かと思い、車移動。
で、近けど道が色々あるし迷うと思ったのでナビで「林泉寺」で検索して走らせたらわけのわからん団地に連れてこられて無事迷子に。よくよく調べてみるとあの一帯が「林泉寺」という町名なのネ!
こりゃイイ!米沢に住むなら林泉寺地区に決定だ!と開き直ってからナビをセットし直したら1分程で「新貝さんのいる林泉寺」にたどり着きました(笑)。
グルグルしてしまったけど、改めて二人の眠る距離は近いです。山吉さんは米沢に帰ってきてから、新貝さんのお墓参りには行ったんじゃないかなァ、とは思うのだ。お盆の時期は境内のみの参拝だけらしいので100円でお墓参り。ここに来てまず確認したかったことは、「新貝さんの案内板が消えた説」の真相。
3ヶ月前に、ツイッターで彼の説明書きが消えたという情報を見て、投稿者の見落としであってケロ~!!とドキドキしながら見に行ったところ…

本当に消えていました

シ、ショック…!!!どうしてだ林泉寺さん…!!!「雪で押しつぶされた」という理由ならいいけど、どういう訳で撤去したんだ~(><)!!
帰りに聞こうと思って受付の方を覗いたのだけど、お盆で忙しいのかあまり顔を出していなかったので今回は聞くのを諦めました。ご存知の方がいらっしゃったら教えてください。

林泉寺は多くの有名な方が眠っているので、案内図が頂けるからそれで一応確認はできるのだけど、初めての人は案内板がないし絶対スルーだと思います。案内図にも「新貝弥七」としか書いてないので、「誰これ」状態の人が殆どだと思うし、消えたのはショックだ。
二度目だったので場所も覚えていたし何とかお参りできてよかった。
(参考:直江兼続とお船の方の大きなお墓の左手前にあって、直江さんのお墓に背を向けている万年塔が新貝さんのお墓です。米沢観光サイトに彼のお墓があるので、それと見比べてみると分かるかもしれません。お墓の周りにブロックが二つほどあって、お墓の右下に少しヒビが入っているのが特徴。山吉さんより探しにくくなってしまいました゚(><))。

1995年の「地方記者 立花陽介 米沢蔵王通信局」は新貝さんがポイントになってくるのだけど思いっきし彼の案内板が映っています。

2015年9月に来た時も、今回もお花類は無かったです~。
ところで先程会津で直江兼続さんの住居跡も見てきたのでここではお墓参りもしたし直江ルートも同時に辿っているのであった──

山門からの眺めが特に好きです。全く関係ないのだけど真田丸のOP映像を見ているとココが思い浮かぶのですよ。謎ですね。

米沢三名園のひとつ。庭園好きには癒しの場所。(庭園には泉水があるしね!!!)

庭園に紫陽花が咲いていました。はわ~紫陽花×新貝さん…

いつ来ても新貝さんが眠っている場所から見る景色は美しい…。お山大好き…。
野洲(近松さんの出身地)は、高~いお山がドンと佇む感じで、米沢はあたり一面お山が連なっていて、どちらもヨイ景色なの。


続きまして上杉神社~。これはいっぱい見るところあるの。
若殿様もココで生まれたんだなや~゚♡と思うとテンションが上がりますね。
 これまた上手く撮れないのだけど、「赤穂事件殉難追悼碑」。

赤穂事件殉難追悼碑
赤穂事件殉難追悼碑

これをじっくり読む人って少ないと思うけど、私が死に物狂いで写真撮ってじっくり眺めていたら、同世代くらいの若めのお姉さんが隣に来てジーッと時間をかけて読んでいてすこし嬉しくなってドキドキした。喋りかけたくなった(ヤメロ)

ここは「THE 観光地」てな感じで遊びに来るととっても楽しい場所!

前回とは違うものを上げてます(/’ω’)/

旅先では「美味しいものを食べておこう」と思うのだけど、つい二の次になってしまい、今回買ったものはこの米沢牛コロッケのみ…でもこれまたンマイ~!♡
このユルいキャラも「新貝さんみを感じる…」と思いました(感じない)。

やっっった~~~~!!新しい米沢織グッズ~~~~!!!!
米沢織大好きなんだ~~~!時間があれば「鷹山堂」に行ってまたポーチなどを色々買おうと思っていたのだけど、疲れ果てて行けなかったので悔しい思いをしていたら上杉神社併設のお土産屋さんにいっぱいあってテンション上がりまくって買った!ノートは観光サイトを見てずっと欲しかったので見つけられてよかった~ヽ(;▽;)ノ
めんげえ…小ちゃいポーチは薬を入れようか印鑑を入れようかリップ系を入れようかお悩み中。

こういうの弱いんだよねえ…方言とか土地系のもの好き。
手ぬぐいって買いすぎて余りまくってるんだけどまた買ってしまった。
下のお花は・・これは恐らく「紅花」だね!?
米沢といえば「おしょうしな」だな~♡大好きな方言だ~!
この手ぬぐいだけでいうと、茨城県北部生まれ茨城県北部育ちの私でも使うのは右から
「やんだ」「めんごい」「おっかねぇ」「こわい」「けろ」「んだ」「やがましい」「まだきてけろな」かな~
使わないけど分かるのは「さすけね」で、使わないからこそ萌えるのが「よぐござったなし」「おしょうしな」
米沢方言で可愛いと思うのは語尾の「だず」とか「なし」。キュンキュンです。

このお土産屋さん、駐車場に山形ナンバーの車も結構あったので地元の方も買い物に来るのかな~なんて思ってたんだけど、超聞き慣れた訛りで会話している人たちがいて「あっ…山形の人かなあ…♡」なんてドキドキしながら聞き耳立てていました。

おしょうしな♡

なんだこれはーーー!!可愛い横顔クッキー!山形サブレ!(新発田でも似たような新潟ストラップ買ったな…)。最上川かわいい…。
米沢は、山形が人の横顔だとすると、首の付け根~うなじあたりでしょうか。
これがオデコあたりなんで言われたらこうやって気軽に遊びに行くのも難しいのだけど、首付近だからお邪魔することができる。首最高(?)。

試食したら激ウマだったので家族にお土産。めっちゃんめえ。
近いうちにまた米沢に行く予定があるので、そのときは、ンマイモノを食べて帰る予定です。
また、日帰りなのに会津→米沢まで来ちゃったし、日が暮れる前に帰りたかったのでお墓参りは新貝さんと山吉さんのみで、三姫様などのお墓までは行けなかったので、次はお参りさせて頂こうと思います~m( _)m
帰りはまた福島に戻って、茨城まで。一人でこんなにドライブしたのは初めてだったけど、腰を痛めることがわかった(
お供のBGMに美空ひばりさんの「おしょうしな」は忘れませんでした(´▽`)