4月【愛知】名古屋・西尾市巡り(前編)

2016年4月9日~2016年4月10日まで、愛知(名古屋・西尾市)を散策してきました。

名古屋

【平和公園】

まず向かったのが平和公園です。
平和公園での目的は、赤穂浪士の一人、「片岡源五右衛門」さんのお墓参りです!
実は片岡さん、尾張藩の家臣の子で、生まれも名古屋だとか。
その所以で泉岳寺の他、名古屋にもお墓があるのですね。
探すのが一苦労でしたが、碑まで建てられており愛され具合が伝わります…。碑のすぐ左に、墓があります。

桜の時期を狙ったので、記念に桜と共に片岡さんの碑を撮影。
片岡さんといえば、主君浅野内匠頭さんの切腹時、桜の花びらが舞う中、
桜木の下で涙を流し、偲びながら殿を見送るシーンが有名でしょうか。
そんなことを考えながら桜と片岡さんを想い、手を合わせました。どうぞ安らかに。

割愛させて頂きますが、宗春さんや平岩さん、そしてマイナーではありますが近松茂矩さんのお墓参りもさせて頂きました。
ちなみに近松茂矩さんとは四十七士の片岡さん、そして近松さん・奥田(貞)さん兄弟のことについて記録を残してくださった方です。(^^)


西尾市(旧吉良町)

一日で回るには車が無いと厳しいと判断し、レンタカー🚗で一人旅ですo(^o^)o車で回って感じたのは、町並みとしては、地元でいえば茨城の県西の方に雰囲気が似ているかなあ、ということです。おかげで慣れぬ土地でも楽しく運転できました…。
【華蔵寺】

歩いていると、こんな碑を発見。 さっそく泣きそうになりながら じっくり読みました…。

真実を求めて
人を斬る刀はあっても 時の流れを断ち切る刀はないといわれる如く 
風習と観念は 時代と共に変遷する
 元禄時代に吉良義央公と浅野長矩公との間に不和を生じ その処理に冷静を欠き 殿中で浅野公が刃傷に及んだ事から 幕府の掟に触れ 家は断絶 身は切腹という事になった
 浅野公の舎弟大学氏の後継が不首尾になった結果 旧臣たちは禄を離れることになり 一か八かで吉良公を討ちとったが 当時の学者と協議して赤穂浪士に切腹を命じた吉良公は治水等の功績が大で 評判の良い名君であったからである 名君を暗殺したものを忠臣としたのでは 武士道にも灰し 芝居にならないので 小説家 戯作家たちが 興味本位にいろいろのつくりごとをして 吉良公を極悪人に仕立て上げ 忠臣蔵として世間に広めたものである
 日常交際のイザコザを 殺し合いで解決したのでは 人間としてもっとも恥ずべき事であり 世の中が殺伐となる お互いが腸のにえぐりかえるような事があっても どちらかが「汝の敵をも許す」といった人類愛に目覚めたならば 世の中は明朗となる
 現在吉良と赤穂の人々は お互いに恩讐をのり越えて交歓をしているが これは喜ばしい限り 本事件の犠牲となって亡くなられた吉良家々臣の二十余名の方々も 誠に気の毒の極みであり このたび供養の塔が建立されたのは せめてものつぐないといえる
 ここに吉良公遺徳の一端を述べ 世の中の誤解を解き 霊の安らかならん事を心から希うものである

真実を求めて

吉良町のものですから、吉良様を讃えることは勿論、だからといって
赤穂を批判するものではない、ただひたすらに、犠牲者への償いの言葉や、
忠臣蔵と赤穂事件の関係性や経緯を語りかけてくれる文章ですね。
グッと来たところで、受付を発見したので、声を掛けて参拝許可を頂きました。

吉良家のみなさまがお眠りになっています。お線香と蝋燭は傍らに御座いましたので、頂戴して手を合わせる。
赤穂事件の犠牲者ともいえる吉良左兵衛さんのお墓は、諏訪にもあります。
諏訪のお墓にも、ここ西尾のお墓にも、亀裂が入っております…。
うぅん…。それにしても同じような亀裂の入り方で…なにかを感じますね。
「忍べ」と言われ続けている彼――でも最近は陽が当たっていますのでどうか安らかに。お疲れ様でした。

これが、愛知県西尾市
これが、長野県諏訪市

気持ちを切り替えて、密かに楽しみにしていた赤馬会館へ♪
華蔵寺の中にございます^^

「その数四千点を超えます」…愛よ…これは愛がなければできませぬ…

かっ…かわいいいいいぃぃぃぃぃいいいぃぃ(膝から崩れ落ちる)
「日本三大駒」のどれかとかなのかな…?かわいい…

全体の写真はこれです。とにかく赤馬ワールドです!!癒し!
グルっと一周して、

仲良く並んでいる赤穂と吉良の三百年祭のポスターを発見!!とてもテンションが上がる!

赤穂と吉良は今はこうでないと…!こうであれ、ずっとずっと…!うれしい…
よく資料に出てくる赤馬さんといえばコレですよね!?!!かわいい!↑
入り口付近で見つけました!
赤馬会館を出たら、他の参拝者の方と出会って「そこ(赤馬会館)って何かあります?」と聞かれました。
「赤馬が沢山いますよ~!」と言ったら嬉しそうに中を覗きに行かれたので私もワクワク。
*
さて、中を拝見させていただきました。
お庭を見せていただけたのですが、長閑で落ち着く雰囲気が素晴らしいです。

吉良様のお庭にうっとりしながら、ご住職さんに貴重なお話を沢山聞かせて頂きました。池大雅の作品は正月にしか出さないみたいで、見せてあげられなくて無念と仰っていました。
展示物の元禄周辺の古地図の前で楽しい伝承を聞けたのでもう満足です!
赤穂事件に謎は尽きません。だから楽しいのです。
住職さんの「吉良さんは愛された 幸せな人だった」といった旨の話をされていて、ジーンと来ました。
地元の方が悲観的ではいけないと思うのですね。実際ここにきて如何に愛されていたか伝わってきて心が穏やかになりました(^^)
結構な時間お相手させてもらって、暫くした後退出いたしました。
最後までご丁寧にお見送りしてくださり私も深々と頭を下げて次の場所へ。

ありがとうございました華蔵寺!!入り口付近に富子さんの碑などもありよかったです!

【花岳寺】
こちらは東条吉良氏の菩提寺で、華蔵寺と隣接しているので徒歩ですぐに辿り着きます。吉良さん達がお眠りになっているすぐ隣には、斉藤さんが静かに眠っております。
案内板があり感謝です。なければ見つけることは難しいです。

斉藤さん どうぞ安らかに。悪評は此処まで突き落す。
それをしっかり受け止めながら、「お芝居」として楽しむべきだと思います。
【岡山陣屋跡】
ここも近いので徒歩で移動しました!吉良さん関連の史蹟にはどこにも吉良像がいるのがステキ♡
陣屋「跡」なので少々こじんまりとしておりましたが、こうやってしっかり残っているのはうれしいですね。地理もわかる。

岡山陣屋跡

ここまでで、私は上着を一枚脱いで初夏の格好をしていました(笑)
ものすごく暑かったです!汗ダクダクです(^o^)晴れて良かった~!!

【正向寺】 
続いて、駐車場に戻り目指すは「正向寺」。
ここは大須賀次郎右衛門さんのお墓があるとかないとか。
情報が少なかったのですが、取りあえず行ってみることに。
行くには行きましたが…うーん、それらしいものは見当たりませんでした…
案内板も無かったのですが、ひょっとしたら紛れているのでしょうか。
討ち死にした家臣達は名は残れどどこに眠っているか分からない方もいるのが惜しいです。大須賀さんは恐らく、この吉良庄で眠っているのでしょう。
付近で手を合わせることに。

代わりに赤馬さんを発見。長閑な街の中、赤馬の像。うん、とても目立つ。かわいい。

【黄金堤】
暑い思いをしながら楽しみにしていた「黄金堤」へ!

黄金堤

黄金堤も色々云われがありますが、今は桜の名所となっていますね♪
少々葉桜になっておりましたが、桜の時期に無理やり来た甲斐がありました!美しい。一般的に言われている有名な「黄金堤」の伝承は、言うまでもないかもしれませんが、かなり簡単に。

当時のこの地の村人が、大水の被害に悩まされていることを知る吉良さん。
→水害の被害を無くそう!と思う吉良さん。
→村人たちよ立ち上がれ!一緒に堤防作りましょう!と思う吉良さん。
→めちゃくちゃ頑張って一晩で堤防を築いた吉良さん。(すごい)
→水害がなくなり、やがてこの堤防を「黄金堤」と呼ぶようになる村人さん達。

奥まで調べると結構な説があるみたいですね。
一般的に伝わっている話はこんな感じの、再現ドラマでやったら泣けそうなストーリーです(^o^)
道中汗だくだった私ですが、この堤防、なんて涼しいのでしょう!桜の木の下で暫く佇んで涼んでいました。

いったんここで切ります。

後編