12月【岡山】備中松山城・津山周辺/【徳島】徳島城跡・慈光院

2018年11月23日~25日に、岡山県と徳島県の忠臣蔵関連地を巡ってきました。

11月23日(岡山県高梁市)

まずは日本一高い山城、備中松山城。
の、前に、その下にある「大石内蔵助の腰掛け石」。
登山目的の方以外は大抵「ふいご峠」まで車で来てそこから登ってお城に行くのだと思うけど、この腰掛け石はふいご峠を下るのです。下っていくのは私だけでした…

大石内蔵助の腰掛け石

ほかの観光客はゼロなのでこの石触りまくってきました。イエイ。
堪能したところで戻って、城まで登ろうと思ったのだけどここで諏訪旅行のように喘息発作が出て死ぬかと思いました(笑)。
上りではなく下っただけなのに大分体に負担がかかっていたようで、階段10段目くらいの所でマズイと思いました。そこから20分ほど登る自信は無かったけどありえないくらい休憩取りながら時間をかけて死ぬ気で頑張った。何人もの人に追い抜かされた…。
途中女性二人も酸欠と喘息でダウンしていたのでお体の弱い方はくれぐれもご注意ください。完全に山城舐めていました。本気で頑張って見に来たお城。

堀部のやっさん(まだ中山姓)が江戸の高田馬場で決闘して江戸の人たちを熱狂させている間に、他の、後の四十七士メンバーの数名はココでお仕事していました。
ご贔屓♥近松さん(当時20代半ば)も勿論ここに来てた!お手紙も残っているようです。
大河級の長い忠臣蔵になると、このお城請取もテーマになって「内蔵助VS内蔵助」が見せ所になるし、赤穂藩にとって重大なお仕事だったと思いまス。
大河といえば真田丸のOPにも使われた場所ですね。

お天気が良くて本当に良かったです。お城を撮る時だけは青空じゃないとキレイに撮るのが難しいのよね。新発田城の時は雲が多かったため難しかった。
西日本豪雨後に住み着いた猫ちゃんに会えるかなと期待していたのだけれど、見つけられなかったです。残念。このお城も豪雨のため少し登山ルートが変更されていました。災害後に見る「がんばろう○○」の文字もたくさん見かけたので早く復旧されることを切に願います。

来る前に予習がてら備中松山城がたまたま扱われた番組を録画して見たのだけれど大石内蔵助のお名前も出してくれてよかったです。このお城を更に奥に行くと、謎の溜池があるのだけど(肺が限界でそこまでは見に行かなかったです)、この溜池、大石内蔵助の報告書にも「何のための水か分からん」と書いてあるそうです!!謎が深いな~。
ラストに説明書載せときやす。茨城のことも触れていて嬉しいね


移動に半日以上掛けたので、この日の散策はココのみ。岡山市に戻り宿へ。路面電車を見るのも初めてだし、乗るのも初めて。勝手が分からず「私より先に降りる人いないと降り方分からん」とドキドキしながら乗ってました(笑)。無事先に降りる人がいたのでガン見して覚えました。

※翌朝の路面電車の駅からの写真 津山まで63km!結構遠いな!

◆11月24日 (徳島県徳島市)

岡山から徳島へd=(^^)=b
知らない男性にLINE教えてと言われて朝からヤベェ方に付きまとわれ、逃げたので道に迷いましたが何とかたどり着いた、人生初の四国。瀬戸内海がとてもキレイでした。

とくしま~!あわ~!踊ってる~!かわいい!

出た!茨城の詩人!野口雨情の歌碑発見。赤穂の花岳寺にも彼の歌碑がございますね(^o^)

徳島城跡
徳島城博物館

本日のメイン・徳島城博物館の特別展。
ここに、赤穂大石神社さんにある「近松コレクション 3点セット(拵・槍・行灯)」が出張してきていまして、近松追っかけファンはここまでやって来ました
大石神社さんと飾り方も違うし異なった場所で見るのも新鮮で見応えたっぷりで嬉しかったですヽ(;▽;)ノ
限界までガラスに顔を近づけてガン見してきました。3回くらい戻って何度か見直した。ニュースにもなったけど大石内蔵助の「遺書」が60年ぶりに公開されたのでそれもガン見してきました。図録も無事ゲットしてきたのでいつでも見直せます!!

実は楽しみにしていた併設の庭園!庭園大大大好きです。泉水もあるし(?)。御池も大きくて緑も多くてとても美しい…

チカマツではなくアカマツです。ご立派。

続いて、慈光寺にある近松さん・奥田(貞)さんご兄弟の親御さんのお墓参り。
絶対に来たいところでしたが徳島は遠いので機会がなく先延ばししてしまっていましたが、今回ようやく来ることができてよかったです。

慈光寺

お墓、見つけられるか心配でしたがなんとなんと5分ほどで見つけられました。
案内板はなさそうだったので古そうな石を探していたら発見。
よ~く見るとわかると思いますが

     近松勘六
赤穂義士        父母之墓
奥田貞右衛門

と彫ってある。彼らのお墓の真ん前がタコ公園🐙なのでタコがかなりいい目印となります。。。笑
こちらに眠られているお母様(かめ)は貞右衛門サンの実母ですね。実家がこのあたりだったそうです。

赤穂義士 近松勘六 奥田貞右衛門 父母之墓

徳島には既に貞サンの更に下の兄弟が徳島藩士になっていて、討ち入り直前に生まれた貞サンの息子さんも弟さんの養子となったので親戚が結構いたそうです。
近松さんの実のお母様は徳島藩士の娘ではなかったので、どちらかというと貞さん系統の親戚な感じがするけど、近松さんが徳島に来た話も残っているとか。

伝説的なものですが、浪人後にここに来て立派な横笛を拵えて愛用した話があるみたいです。大事を悟られないよう用心して平凡を装っていたため「泣きの勘六」という仇名が噂された、なんて伝説も残っているみたいです。信ぴょう性は低いと思うけど徳島も重要な近松ポイントということがわかりますネ!

蜂須賀公はうちでいう水戸黄門様的な扱いを受けているようじゃ。ハハッ。

◆11月25日 (岡山県津山市)

河童(ごんご🥒)の街・津山市は神崎さん・和助さん・横川さんゆかりの地。思いの外河童でした。たまに蛙が混じってきた。🐸

<<徳守神社>>

神崎さんの歌碑がございます!わーい。
2017年から三人の慰霊祭「三士祭」が行われている場所でもあります。
もう少し赤穂寄りの方に行けば他にも神崎さん達ゆかりの地があるそうなんですが、今回はここまでで。赤穂から車で行ったほうが行きやすい気もしないでもないし(笑)。

<<津山城>>
神崎さんや和助さんの父または祖父達は、ここにお勤めにきていたのでしょうな。

紅葉の時期だったのでとってもとっても綺麗でした。
神崎さんや和助さんって本気で仲良しだったのが文字だけで伝わってくるしああいう信頼し合える仲間ってイイナァと微笑ましくなったりもする二人です。この地で平凡に生きた可能性もあったと考えると、たまたま移って来た赤穂藩で刃傷事件、そして討ち入りに繋がっていったことを考えると彼らの人生は特別なものだったのかもしれないな。
まあ、神崎さんはずっと津山にいても浪人してても何してても酒は死ぬ直前まで飲んでいたのだろうな。俳句と酒を愛した男。🍶


西の人はこの光景が普通なのだもの羨ましいのう。今年最後の遠出でした。初めての中国・四国地方でした!