4月【和歌山】高野山

2019年4月13日に、和歌山県の高野山に行ってきました。
高野山と赤穂事件の関わりはそこまで深くはないけど、個人的には近松さん的な意味で非常に重要な場所になっています💚
まず簡単にどういった経緯があるかザックリメモ。

元禄十四年の松の廊下の刃傷事件後、大石さんは五月五日に早水さんと近松さんを派遣して赤穂東林寺の僧・祐海と共に高野山に登ってもらい、日拝料を収め亡き主君の供養墓を建立したそうな。で、六月十六日には帰ってきたらしい。元禄十五年十二月十九日に大石さんが瑤泉院の用人の落合さんに送った書面に「両人志の段も申上度」とあるのが嬉しいです。(^o^)

さて、まず大阪まで出てから和歌山GO!ということで、関東の田舎在住の民からすると大阪周辺の駅=ダンジョンのイメージしかなくココは出来れば避けたかったのだけどそういう訳にもいかず、「旅の前の調べ物」の八割は大阪の駅の構造だったのは秘密。
以前三平さんのお屋敷やお墓に行った時も、誤って別の改札に入ったりバス停の場所が分からず迷ったりしたので尚更大阪は謎の街という印象が強くなってしまったのが原因。なんてこった。
とりあえず何故「ナンバ」が大量にあるのか最大の謎だしサイトによって「難波」としたり「なんば」としたりで「結局私が行きたいのはどのナンバなのか」から始まったのが今回の旅でした。

ということで事前にある程度確認しておいたので当日は何も迷うことなく行って帰って来られました。
という余談はさておき、結構長い道のりを経てたどり着くは「極楽橋駅」。
ケーブルカーだ~~!スゴ~い!電車オタクではないけどこれはかわいいので撮って来ました。
行きも帰りもケーブルカーなので今回はなんとも思わなかったけど、小学生の頃遠足で地元の山「筑波山」に登った時、一生懸命時間をかけて登ったのに帰りだけケーブルカーを使って一瞬で降りるという虚しさを体験した出来事を思い出しました。

極楽橋では綺麗な橋と桜のコラボが拝めました。

有名な人たちのお墓を見ながら目的地まで歩いてみました。広島の浅野家のお墓や、神崎さんや和助さん縁の津山藩の森家のお墓なども発見しました。広島浅野家のお墓、二つあるのね

吉宗公のお墓で大きい葵の御紋が拝めました。
途中旅先での恒例行事となりつつある「写真撮ってもらっていいですか?」という人の手助けをして墓をバックに(笑)、写真を撮って差し上げて、再び歩き出し。

大きく道が二股に分かれた場所まで来たら「其角句碑」があるので、その右側を歩けば間違い無しだった。迷わずに行けてよかった。目印が其角さんってのも粋ね。(笑)

普段お墓や供養塔の写真は載せないけど今回の供養塔は載せます。 
これが!近松さんと早水さんが建立した主君のお墓…!!✨✨
公儀を憚って笠石のない札石のお墓で、「元禄十四年六月八日建立」と刻まれています。
どんな思いでここまで登り、どんな思いでここで手を合わせたか考えるだけでジーンときます。後ろも足を踏み入れることができたのでグルッと一周して刻まれている文字など観察してきました。

じっくり眺めてたら通行人もココで「浅野内匠頭だわ~」と声を出す人が結構いらっしゃって嬉しかったです。周囲に浅野内匠頭が分かる人があまりにも少ないのでフルネームで言える人を見かけるだけで握手したくなる気持ち悪いオタクでした─

そして横には四十七士の碑もありまして。ここに登った二人はまさか後に自分たちもこのような場所に碑を建立してもらえるとは思いもよらなかったでしょうね。 
その後は一日で巡れる範囲で高野山の人気スポットを回ってきました。
物凄く天気が良くて、僧のお話も聞けて、とても素敵な日でした。
標高が高く、気温も低いため極楽橋では咲いていた桜も、高野山ではまだ蕾でした。
今冬の最低気温がマイナス13℃だったようで、第二の故郷の冬の気温が大体それくらいなので体感も想像することができました。
近松さんたちが登ったときは流石に桜は終わっていただろうね。初夏手前くらいの気温で少し涼しかったのかなあ。