2019年8月【神奈川】赤穂義士由縁の寺等

2019年8月22日と23日は出張で神奈川県の川崎におりました。一人で出張だったため「ついでに忠臣蔵巡りでもしようではないか」と思い立ち、出張先から一番近い「冨森さんの元住居跡 & 大石さん達(近松さん含む)宿泊地跡 & その目の前の四十七士ゆかりのお寺」を見てきました。

画像1

画像2

※テンションが上がって無駄にデコっている画像がありますが気にしないでください。

御家断絶後に冨森さんがこのお寺の目の前の農家軽部五兵衛さんの地所内へ仮住居を建てて移り住んだといいます。その後冨森さん自身は麹町に移り、大石さん達が最後の東下りをして来るときにこの住居に泊まってもらったそうな。長編忠臣蔵の場合はこの平間村のシーンも描かれることが多いですよね(^o^)因みに冨森さんの一子長太郎くん誕生の地はこの平間村の住居だと考えられています。

画像3

跡地といっても石碑とかは無いです。住宅地と、公園になっていました。お寺さんを背に少しの間脳内で当時の様子を想像しながら景色を眺めてきただけです。怪しいですね。

それと大石さん御一行の名簿を記載しておきます。

❖四十七士❖
大l石内l蔵助・潮l田又l之丞・近l松勘l六・早l水藤l左衛門・菅l谷l半之l丞・三村l次郎l左衛門

❖その他(追従)❖
甚l三郎・室井l左六他中間二名・医師寺井l玄達・助手森助

大石さん御一行は鎌倉を出立した後にこの平間村に泊まり、ここで第一訓令を発したあとに江戸の討ち入り直前まで泊まっていた小山屋へ移る流れ。この平間村にいる間に目の前の称名寺に小物等を預けたそうです。それでこのお寺さんには四十七士ゆかりの物が多く残っていて、毎年12月14日に公開されるようです。

そうなんですよ…つまり…また一つ…近松ルートを辿ったのよ…!!!ああっ嬉しい!しかも川崎まで会社の経費で!「東京を超えて川崎に行く」なんてことそうそう無いのでとてもラッキーでした。12月14日にいつか来られたらなあとは思うのですが、この日は各地でイベントが繰り広げられるのでなかなか難しいですね。ああ、分身したい。

余談だけどずっと富士山が見える高層ビルでお仕事だったので感動しました。まあ富士山が見えることは帰る直前に教えてもらったのですけど。雨で見える時間少なかったし。当時は江戸からも富士山を楽しめたことを思い出し「ああいいな~近松さんも見ていたそんな江戸の景色を一度見てみたい!」とワクワクさせられました。皮肉にも高層ビルの最上階からの景色を見て。